恐れない
2020年 01月 12日
このところ、「怒らない」を考えてきたのですが。。
どうやら世の中、自分が能動的に「怒る」のではなく、否応なく「怒らされる」ことが圧倒的に多い。それが嫌だ、ってことなのかもしれません。
相手が自分を「怒らせている」のではなくて、自分側にある何かが自分を「怒らせる」、だから私が「怒らされる」。
自分の側の問題です。
そして、その構造に気づかないまま、怒っているその対象(相手や相手の言動)が悪いんだと思い込んで、関係が悪くなっていく、理解しあえなくなっていく、そういうことが嫌なのかもしれません。
自分が怒っている対象である「そのこと」自体は、本質的には「怒らなくても良いこと」かもしれないし、何かアクションをするべき物事だとしても「いまここで何かしなくても良いこと」かもしれない。
だけど、余裕がなかったり、積もった不満だったり、先入観だったり、恐れだったり、自分の中にあるそういう何かに「怒らされて」、怒りが生まれてしまえば、そこで何か(言うとか黙るとか固まるとか逃げるとか)をせざるをえなくなる。
そうなったら大概、ほんとうのことは伝わらないまま、揉め事だけが生まれて残って終わる。
それをきっかけに話し合えたとしても、ほんとうに伝わることはない。
話し合いさえもできなければ、ただこじれただけ、何かが積もっただけ、何かが壊れただけ、で終わる。
いつか忘れるとしても。
そういうことがもう嫌なのかも。
だから、まず、自分を簡単に「怒らされない」仕組みにしていく。
その上で、ほんとうに怒りたいことだけに怒る。
そういう怒りは、弱いところを突かれて防衛している怒りではないから、口調は厳しくなってもどこか冷静でいられていると思います。
そういう怒りは出した方が良いのでしょう。
怒りにコントロールされず、怒りを活用できていれば。
てことで、「恐れるな」が今のキーワード。
無謀になるって意味じゃないですよ。
自分は感じて思って考えて悩んで決めたり受け入れたりしていくけど、不安や心配は手離す。
不安や心配を抱えていて良くなることなんて一つもないので。
いつもニュートラルに戻っていられるようにする。
やっぱり、「不機嫌な人が怒る」のです。怒るから不機嫌になるのではなくて。
だから、不機嫌のモトをなるべく捨ててニュートラルに。
そのためには、観念を手離す(常識を捨てる)ってこともしないといけないのかもしれません。
大事なのは、こうした方が断然ハッピーだってことかと。
周りも自分も。
ま、たまには防衛むき出しで怒っちゃうこともあるでしょうけど。。
写真。
新年会の、新宿三丁目「ナドニエ」、やっぱり良い!
お通しのマッシュルームのスープ。
香りがすっごくマッシュルーム!
by medeco
| 2020-01-12 22:59
| 日々のこと
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