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雨上がり

春一番だったみたいですね。

雨上がり、「本屋さんに行かない?」と声をかけたら、
「いいよ!図書カードで本買う!」

てことで、自転車デート。

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本屋であっさりと本を決めて買ってから、
おまけ狙いのハッピーセットを買ってもらったものの
すでに持っているカードが出てがっかり、、しながら
牛乳だけは飲んでいるところ。


私の狙いはこちら。
フラウ3月号

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1万字インタビューって、、読み応えありました。

子供を持たない人生を望んできて、微塵も後悔していない、
夫と生きることはとても幸せだと。

ここ数年でいろいろと考える機会があり、思うのは、
やっぱり、人は何かを得たら必ず何かを失っている、ということ。
昔からそう思ってきたけれど、若いと経験に裏打ちされるものが少ないので、
「・・・理論上はそうなはず」と付け加える程度の保留な気持ちがあったけど、
40も過ぎたら立派なオトナ(のはず)。
経験もそれなりに。

子供という存在を得た人は、子供のいない人生を失っている。
2人目、3人目の子供を得た人は、一人っ子とともに育つ人生は得られない。

ともすると、「デリケートな話題」である結婚や子供というものって、
人生に加算されていく経験や財産のようにとらえてしまいがちだけど、
そうではないんだな、持つ者と持たざる者ではなく、
分岐で進んだ道の違いで、どちらも違う方の道は知り得ない。

最近ふたたび漠然と感じていたそんなことを、
このインタビュー記事を読んで、あらためて思いました。
Commented by chikaco at 2016-02-16 10:47 x
> 分岐で進んだ道の違いで、どちらも違う方の道は知り得ない。

本当にそうですね。ワーキングマザーか、専業主婦か、についても同じように思います。ありようが違うのだから比べられないのにな、もっと何でもなく(あなたと私が違うというのと同じスタンスで)理解し合えたら楽なのにな、と。(でもなかなか難しいですね。)

20代の頃は、今ある境遇は自分で選んできた結果なのだから、なんであろうと弱音を吐いてはいけないとなんだかやたら思い込んでいたのですが、今は、選んだってなんだって、しんどい時はしんどいと思えるようになりました。だから、選んだものが違っても、お互いよく生きているね!と感じられるし、それは私の場合は3人育児を通じて得られた心境だと思います。(その代わりに失ったものについては、人からはあまり見えないから、能天気に見えるかもしれないけれど、それもまたよし、で。)


↓のスネ夫、相手を向いたカエル(小指が口になるパターン)を作って、頭の上の方を平らにする感じにして、だれかがスネ夫の上方っぽく手のひらを置いてあげる、という作り方らしいです。(私がこういうの苦手だから説明下手でごめんなさい!)
Commented by medeco at 2016-02-19 22:24
chikacoさん>
ワーキングマザーか専業主婦かについては、「違わない」と受け止めることの方がもしかしたら良いのかな?という気が最近しています。この2者って実は境界が緩いのかな、って。

同じワーキングマザーでも、経営者ママや、時短&在宅可能な会社勤めママ、一般的な会社員ママ、ブラックな企業勤めのママ、フリーランスママ、、、それぞれかなり家事育児(主婦業)に使える時間や余裕が異なる気がします。
また、専業主婦でも、住んでいる地域や家族形態、介護の有無、夫の世話(?)にかかる部分、夫との精神的な関係などで「主婦業」の中身はだいぶ違うような。
そして何よりこの2者は行き来ができますよね。仕事を辞めれば今日から専業主婦だし、一定時間のパートに出れば今日からワーキングマザー。実際この行き来はいろんなパターンで行われている(AからBもあればBからAもあり、行ったり来たりも)。
ということは、お互いのことがわかるはず。わからない部分があるとしたらそれは立場の違いから来るものではなくて最初からわかりえない(わからなくて当然だから尊重しあえるというような)部分でしかない(あなたと私が違うということのように)、という気がします。

それに対して、「独身」「夫を持つ」「母になる」って、(日本では特に。でも外国でも)一方通行の矢印で捉えられているように思います。つまり、ステップであり、経験値であると。だから、左から順番に最後まで経験するのが「フル」という感覚。それ以前で止まるのは「欠けている」という感覚。

ワーママvs専業主婦は、どちらも、アタシの方が!と言おうと思えば言えるけど、こちらは対立にさえなれない空気の現状があるというか。
そこがおかしいというか息苦しいというか、そんな風に感じていた部分でした。そうではないはずなのに・・と。
特に、「母になる」という、行き来不可能な要素がそのブラックボックスになっているように思うのです。

あー、長くなってしまってごめんなさい!
そして、MEKURUキョンキョン特集を読んだのでした。
Commented by chikaco at 2016-02-20 09:32 x
なるほど。私が専業主婦だから余計に”行き来できるもの”というより固定化された立場のように感じて、↑のように思ったような気がします。もっとオープンにできない関係、ですね、確かに。

結婚も出産も、自然とそれを望む気持ちが育まれる人生だとしあわせだろうな、と(自分がそうあれたかどうかは別にして、というよりそれゆえにわが子に対してそう願っています)。
それで、実際にどのようなめぐりあわせになるかは、努力とか達成とかとは別のところにあるはずなのだけれど、そう思いきれるにはいろいろな経験や時間が必要になるのでしょうか。

自分に言い聞かせながらだとしても、今の人生がしあわせだ、と言えるのはすばらしいことだとしみじみ思います。その人生、誰かのために生きているわけでもないし、誰かが代わってくれるわけでもないのだから、(私の場合)おどおどしながらでも胸を張っていたいな、と!

MEKURUは気になってました!買いに行きま~す。(いつもながら、コメントでだらだらとお話ししてすみません…。)
Commented by medeco at 2016-02-20 19:11
chikacoさん>
とんでもないです。chikacoさんのコメントはいつも考えさせてくれて、その後に発見があって、有難いのです。。

この社会は専業主婦家庭が基本になっていますよね。
そうでなければこの長時間労働で休みの少ないことが当たり前の社会は成り立たないし、あの小学校生活も成り立たない。
だから、ワーキングマザーの立場からすると「どこか責められている」と常に感じていると思うのです。誰に?というのは人それぞれで、私は「社会から直接&間接的に」と思いますが、「社会的に正しい立場の人(専業主婦)から」という感覚を持っている人もいると思います。それはとてもよくわかります。
対立の感情の始まりはそこかな、と思うのです。

でももしかしたら、社会はそうであるのに、当事者たちはそうは思っていないのかもしれませんね。専業主婦もワーキングマザーも、こういう社会の中で最終的に選ばざるをえなかった道を行っているだけなのかも。
その思いがこじれたときに対立が生まれるのかな、と思います。

だから、chikacoさんの書かれているように、相手を落とすのではなく自分が胸を張れることって大事なのだと思います。

けど、男性と女性はまた違うのでしょうね。
ここに書いたことは女性ならではの想定が大きいです。
男性には別の大変さがある、、というのが最近思うことです。(亭主元気で留守が良い、がジョークにならない社会ですから・・)
わが子に対しては、だから、男ならではのそういう悲しさにはまらない人生であれば良いなと思いますねえ。
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by medeco | 2016-02-14 23:16 | Comments(4)

東京在住。毎日リモートワーク。歌舞伎・文楽、ラグビー観戦、旅、からだ周り、料理・ゴハン好き。息子は16歳。


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