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ほめる、叱る

先日、

子どもを「ほめて」誘導することは正しいのか?

という記事に対して、私、
某FBにこんなコメント(↓)で投稿していたのですが・・・

『そう。だから、子供をほめるときは、その行為や結果をほめるのではなくて、その行為や結果を導いたその子の資質をさりげなくほめる(というより、認める?)べし、と言われた。「キレイに掃除できておりこうさん」ではなく「アラすごい。あなたはキレイ好きね」と。「100点すごいね」よりも「算数が得意なのねえ」と。これは、同じようで違う、と思う。何にしても誘導は入るけど(そりゃあね)、方向性の限定が少ないからかも。それとは別に、「助かる~!」は惜しみなく言う。ワタシ個人の事情を助けてくれた感謝として。こういう差は、子供も、体で聞き分けていると思う』



ほめるとか叱るとかいう「行為」や「動作」
そのものに良いも悪いもなく、
「ほめる子育て」も「叱る子育て」も
現実には存在しないと思うのです。

(子育て放棄していない親であれば、
まったくほめないって親もいないし、
まったく叱らないって親もいないもんね)

日常的に運営していく事柄って、
良いか悪いかを考えるべきは、
「〇〇すること」についてではなく、
「どう〇〇するか」についてではないんだろか。

「ほめて誘導することは良いか悪いか」よりも、
「どうほめるのが良いか」、
「どう誘導するのが良いか」を考えるということ。

それは、
「子供をほめたか」
「子供を叱ったか」
という、YES/NOで答えられるような
見方で自分を評価をするのではなく、
「子供をどんな風にほめたか」
「子供をどんな風に叱ったか」
という、記述式の答えで振り返って
自分を評価する、ということ。

上で書いた、
『その行為や結果をほめるのではなくて、
その行為や結果を導いたその子の資質を
さりげなくほめる(というより、認める)』
という、子どもへの接し方と
そのまま重なるというか、
同じことではないかと思う。

それは、正しさや間違いというものが
いつも絶対的な基準で
世の中に存在しているのではなく、
まず何よりも、
「人によって」
変わるものであるということ、
その背景に、
「状況によって」
「相手によって」
「時代によって」
等々の要素があるということ。
つまり、正しさや間違いというものは
ある程度多様なものであるということ、を
前提とするスタンスなのだと思う。

しつけも誘導の一種だし、
子育ての中では、親の持つ
「正しさ」や「間違い」の基準を
子どもにお仕着せる場面も多々あるけれど、
こういうスタンス・こういう接し方の中で、
子どもが、「正しさは多様である」
という感覚を身に付けていければ、
いろいろ、大丈夫なのではないかな?

お仕事の評価じゃないんだから、
結果よりも、過程や工夫や努力といった
その子そのものに目を向けて、
ほめたり叱ったりしたいものです。








Commented by umezuke at 2016-05-08 15:21
読み応えのある記事ありがとう。
子供を育てることになり、子供からの疑問に答えているうちに、ベースとしての社会性は我が家庭も保育園もほぼ違いがない。
たぶん一般ともそう違いがないだろうから、子供に対して、社会生活上のルールを伝えている部分はまずまずだと思っている。
が、対して、個人となると全く違うのだよ。お父さんやお母さん、保育園の先生、大好きなお友達だって、喜怒哀楽のポイントは全く違うのだよ、ということを意識して伝えているんですわ。

だから、叱られる、褒めらる、それらのポイントも大人によって違うんだよ、と。
ママはお家や自分のルールに沿って怒るし、ママが素敵だと思ったことを褒めるんだよ、と。


近頃は、叱った後に娘の理屈で反論してくるから、そんな姿に逞しさを感じるようになってきた。笑



Commented by medeco at 2016-05-08 18:10
うめさま、
コメントありがとー。
そうだね、喜怒哀楽のツボは人によって本当に違う。そこは子供はすんなり学ぶと思うのだけど、ほめられるポイントや叱られるポイントも同じように人によって違うものだということは、ちょっとわかりにくいのではないかな?という気もするの。
ほめるとか叱るって、快か不快かというその人の好き嫌いではなく、正当か不当かみたいな善悪の心が発動したときに出てくる行為だと思うのね。実際は、自分の好き嫌いや虫の居所と善悪がイコールで繋がったり連動していることに無自覚なまま子どもをほめたり叱ったりする大人がいるからややこしくなると思うのだけど。

しかし、そういえば、他者を激しく攻撃(批判、非難)するときの人間の心理って、「嫌だ」っていう気持ちより「それはおかしい」って気持ちなのだと脳の先生の池谷さんが書いていた気がする。

ママはそれ嫌だからやめてちょうだい、と怒るときと、そういう行動は筋が通らないからおかしいなぜならば、と叱ることは別かな。
前者は息子に反論の余地ないけど(歩み寄りはあるにしても)、後者はいくらでも違う理屈で反論できる。それをするようになったら頼もしいねー。

ほめるときは、、どうしてるかなあ、前者のパターンが多いかなあ(とっても助かる!よく気がついたね!よく見てるね!そういうことどよ頭いいじゃん、等々、私の事情や感性から出る言葉)。
後者のほめ方って、するかなあ、、「君がそう考えて行動したのはそれで良いと思うし、行動できたのは偉かったね」みたいな言い方はしてるかも。

何にしても、いつまでも親の価値観に縛られることなくいつか無事乗り越えていってくれれば良いよねー
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by medeco | 2016-05-08 03:27 | Comments(2)

東京在住。毎日リモートワーク。歌舞伎・文楽、ラグビー観戦、旅、からだ周り、料理・ゴハン好き。息子は16歳。


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