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夜な夜な唐揚げ

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日曜夜は、
モンスターマザーを読みながら夜更かしして、
夜中近くになって唐揚げ作り。

会社のボランティア活動に提供する品であります。

モンスターマザー、
まだ半分しか読んでいないけど、
「生徒の自殺の原因となったであろういじめを
隠蔽したと叩かれた学校側は、実は、一人の
モンスターマザーに苦しめられた被害者だった」
というルポルタージュのようです。

この著者が立つ側を完全に決めて書いているので
(思いっきり一方的なので)、
当事者でない読み手の私としては、自然と
反対側の立場(モンスターマザーとされている側)
の肩を持つシミュレーションを織り込まないと
いけなくて、何となく居心地悪い。。
(この事件の悪かどうかは別として、
ここに出てくる母親は、脚色を差し引いても
実生活では敬遠したい感じ)

でも、ここでも思うのは、
事実と真実は違うということ。

事実は単純に事象の積み重ねだから一つ。
(但し、事実の切り取り方で人の解釈が加わり
印象が変わるのは「歴史」に見る通り。
歴史は事実じゃない)

昔は、事実の向こうに真実が控えているのだと思っていた。
今も「真実は一つ」という言葉を耳にすることがある。
でも最近はそう思わない。
真実は人の数だけあるような気がする。

人は見たいものだけ見る。
フォーカスしてしまう。
見たくないものや、興味のないものや、
その人の概念にないものは、本当に見えなくなる。
京極夏彦の「姑獲鳥の夏」がそんな話だったっけ?
見えないのだから、その人にとっては無いということ。

逆に、見えているものは、在る、ということ。
ドクター苫米地も、
「心霊現象は、その人には見えているのだから、
つまり、実在する」と言ったそうな。
納得する。

事象の羅列である事実と、
あの人にとっての真実と、
この人にとっての真実と。。

この事件の真相は知りませんが、
裁判に発展して揉めに揉めて、生徒を含め、
多くの人間が疲弊したらしい。

この事件には教訓の要素がたくさんあると思うけど、
揉め事は早い段階で、
事実と一人一人の見える真実は全て違う、
(どれが正しくて何が誤解ということではない)
という前提で臨むことが必要(というか基本)
じゃないのかなあ、と、思う。





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by medeco | 2016-03-08 03:30 | Comments(0)

東京在住。毎日リモートワーク。歌舞伎・文楽、ラグビー観戦、旅、からだ周り、料理・ゴハン好き。息子は16歳。


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